特別寄稿/エミ・エレオノーラの

ニューヨーク日記vol.3

8.2曲で100ドルのデミセミ

"クラブU.S.A"---ニューヨークに来てから知り合ったイベント・オーガナイザーのブッキングだった。私はこの日、ニューヨークのミュージシャンの知り合いに「クラブでデミセミとセッションしようよ」と人を集めて、みんなで出向いた。チボ・マットのユカちゃんや、ダギー・バーンなんかも来てくれた。セッティングは大変だった。広いダンス・フロアの上の方に、歩道橋のようになったスペース。元々、ライブが出来るスペースではなく、担当のスタッフはブツブツ言いながらも何とか音が出る状況にしてくれた。
演奏は素晴しくひどい、今まで聴いたこともない様なものすごい音楽。それを皆、楽しんでいたのに、即興音楽が2曲目になると私は誰かに肩を叩かれた。「Stop It!」。
後から聞くと、何と関係者は私をドラッグ・クィーンと間違えて、一人で来て"口パク"のショウをやると思っていたのだそうだ。それを訳の分からないミュージシャンを多勢つれて来て、大音量で"変な音楽"をやりやがってーーーという理由だった。対バンのドラッグ・クィーン達(?)にも「女だったの?性転換うまくいったわーって関心してたのに」と言われた。誰もゲイなんて言ってないのに...。私達は笑ってしまった。私達は時々変な所があって、"2曲で止められた"という事を誇りに思って笑い会ったりした。 私がオフィスに謝りに行くと、オーガナイザーは100ドルをくれた。"2曲で100ドル"はニューヨークのクラブでは、悪いギャラじゃない。

9.夢の名前

"クーラー"という名のクラブには、このツアーで二度出演した。このクラブのジェダイという店主は、特にデミセミを気にいってくれて、二回目、三回目にツアーに行った時は、本当にデミセミのためにいいブッキングをしてくれた。ミート・マーケットを改造した内装や、変な反響のある音、出演しているバンドもいつもかっこ良くて、私も気に入っている。一度見たお客さんは、気に入れば友人を連れて必ずまた来てくれる。ニューヨークは口コミが広がり易く、最初は動員が少なくても、いいライブをやれば着実に動員が増えていく。デミセミにとってはやり易い事だ。マス・メディア無しでも何とか情報が流せる。このツアーの最後の"クーラー"では、ファンだと言ってくれる人も少ないけれどできていた。持って来たCDもけっこう売れた。残りはCD屋さんに置いてもらったり、世話になった友人達にプレゼントした。帰りの荷物が軽くなった。
それにしてもデミセミクエーバーはニューヨークで色々収穫を得ている。ライブでギャラをいただいて、友人の紹介のプロデューサーやディレクターに気に入られて、アメリカでCDを出さないかという話も来る。雑誌やケーブルTVに出た。ラジオでもCDをかけてもらった。ちゃんと"仕事"になっている。けれど私達はアメリカで商売をする気は特にない。それなら何故活動するの? 深い意味はない。強いて言えば"楽しいから"という程度で、友人の一人は"欲がない"などといった。いや、考えたら日本でもそうだ。みんな、自由過ぎて、私も時々一人で不思議になる。でもそんな時メンバーに「皆、欲ってないの?」などと聞いたら、皆何と言うのだろう。何人かが「欲って何?」と聞き返して来る程度で、つまりは売れても売れなくても、音楽を自由に死ぬまで無意識のように続けるのだろう。楽しく。それはデミセミの場合、"才能"という事になるだろう。
私達はアメリカで夢を見るけれど、よくいうアメリカン・ドリームとは違った夢を見ていた。何だかよく分からない"意味のない事"にサクセス・ストーリーを夢見ていた。その"夢"にいつも、名前が付けられずにいる。

10. LUV

最後の日、皆またどこかへ行ってしまった。お腹が空いて、財布を見たら1ドルしか無かった。私はこの時初めて"食べるためだけに"アコーディオンを持って教会の前でストリート・パフォーマンスをやった。今まではただ、楽しいからやっていただけだったのだ。重大な発見があった。空腹で、お金の事だけを考えて道端で演奏した方が、公園でアーティストとして演奏するよりチップが入るという事実。念が入ったのか、何と、30分で、160ドル! 公園で演った時は一時間で40ドルくらいだった。その頃は1ドルが日本円で約100円。信じられない事に30分で、日本円にして約1万6000円の収入。この内100ドルは実は一人の人がくれたのだけど、それが無かったとしても30分で6千円のバイトなんてあまりない。ホームレスが「オレは金を持っていないけれど、ちょっと待ってろ」と言って、どこかへ消えて、飛んで帰ってくると、紙袋にいっぱいの汚い服をくれた。どこかで拾ったのだろう。それは本当にどうしようもなく汚かったけれど、実は一番嬉しいチップだった。こうして私はこの下町にしては珍しい金持ちになり、"芸は身を助ける"という言葉をかみしめ、3ドルも出せばたらふく食べれる食事を優雅にして、日本の友人や家族達におみやげをたくさん買った。実際、この最後の日の出来事は、私を変えた。私は"タイム・イズ・マネー"ならぬ"ミュージック・イズ・マネー"という事実を強く感じて、多くのチップを投げ入れてくれた人々の愛を大切に思い、次の日空港で、荷物を運んでくれた黒人の男の子に札に両替できなかったその時の大量のコイン、約40ドルを、ニューヨークへの感謝の気持ちを込めて両手いっぱい差し出した。いつも多くても2ドルしかもらえなかった彼は、輝くようにこう言った。「あんたは天使だ!またニューヨークへ来てくれ!」
その言葉通り私は、四か月後、今度はスティーヴと寺師も含めて、再度ツアーに行く事になる。その時、ニューヨークの友人達は皆"おかえり"と言っていた。
それからもう、3年も経っている。今度行った時もまた彼らは、"おかえり"と言ってくれるかしら。恋しいけれど別に不安はない。行きたい所へはいつでも行けるし、会いたい人には必ず会える。何年経っても、どんなに遠くても。夢を見る気持ちが現実を作る、という事実を簡単に教えてくれた街。LUV! LUV! LUV!

〜完〜

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