盛島貴男 本人によるCD解説  



小生が小学校6年の頃、名瀬の永田橋付近の道端で樟脳を売りながら、竪琴を弾き、シマ唄を歌っている里国隆の唄の記憶が甦り、16年程前からシマ唄、歌謡曲などをクニタカバージョンで歌う事と竪琴の制作、販売を行ってきました。 
以前、竪琴演奏の手ほどきを受けに訪れた里アンナさんのご紹介で、今年4月ウサトリーヌレコードの山本恭久氏と出会いました。その時、ひょんな事から龍郷屋入の私のスタジオにて小生の演奏、唄8曲を気の向くまま選び、録音して貰いました。 
その後、里国隆氏CDのディストリビューターに音を聴いてもらった所、CD制作の話がトントン拍子に進み、古い音楽の知人たちが応援してくれて、大変感謝、感激しています。誠にありがとうございます。 

昔の奄美大島では唄遊びとして、即興で一人が歌い、別の人が返し、また次の人に渡して行くという遊びがありました。 
今の人たちは定型になったものを修練していますが、即興で歌っていくという文化、遊び心を私は大事にしています。 
そしてもう一つ、里国隆氏が言っていた、「唄は上手く歌わなくてよい、只大きな声で歌えば良い」という言葉を大事にしています。 
大好きな全国の民謡、俗謡、大道芸など、道端に溢れていた庶民の唄を大切に取り上げていきたいです。 
今後、里国隆二世を目標にして、奄美で国隆スタイルを継承して行きますので、よろしくお願いいたします。 
2015年 7月 盛島貴男 奄美大島、工房にて 

本人による収録曲 解説 
1、19の春 作詞作曲不詳 
元唄は戦時中の「ラッパ節」「元ヨロン小唄」 
昭和47年~55年、田端義男の唄で、歌謡曲として全国に広まる。 
戦時中のいろいろな意味や物語が詰まったこの歌が、歴史好きな私は大好きなのです。 

2、行きゅんなかな 「ゆんみやんみ」が元唄 
奄美全土のポピュラーなシマ唄 
里国隆、全盛の昭和30~40年代、奄美大島紬産業の全盛時期、流行っていた。 
その頃の奄美大島の生活が歌詞にぎっしり詰まっている。 

3、よいすら節 奄美大島の「うなり神信仰」の元唄 
この唄は各村によっていろんな歌詞や節回しがあるのです。 
それらを盛島流に集めて、一つの流れになるように作ってみました。 

4、やすき節 島根県民謡 
里国隆が時々歌っていた、どじょうすくいの唄 

5、田原坂 1887年、官軍と薩摩軍との戦い。「西南の役」の唄 
これもいろいろな歌詞のバージョンがありますが、盛島流に料理してみました。 

6、製糸小唄 
日本が産業近代化の途中、「野麦峠」に代表される女工さん達の悲しい唄 
歴史が大好きな私。明治維新の頃の庶民のつらい暮らしぶりが目に見えるような唄なのです。 

7、稲すり節 奄美、琉球全土で歌われるテンポ良い労働、祭り唄。 
男と女が稲を擦っているまねをして、楽しむ唄を盛島流にしてみました。 
私はモータウンやレイチャールズも大好きなのだ。 

8、豆地獄 里国隆が作詞作曲した唯一の唄 
戦後、食糧難時代に「大豆とトーフ屋の娘」の押し問答の唄。 
これもその頃の庶民の生活が目に浮かびます。

■発売元
Usatréne records
contact : shop@usatrene.com
■販売元
メタ カンパニー