ジャンルを超えたミュージシャンたちからの大賛辞!
(8/1現在 五十音順 敬称略)
 

鍵盤奏者の僕が、2008年、とあるキッカケがあり無性に奄美竪琴が弾きたくなりました。
ライブでも度々訪れていた奄美ですが、「奄美竪琴を探すためだけの旅」に出ることに決めました。
すると様々な引き合わせがあり、偶然なのか必然なのか、実に不思議なご縁でお会いできたのが盛島さんでした。
あの時、突然訪ねていった時に歌って聞かせてくださった「行きゅんにゃ加那」は衝撃でした。
以来、奄美でお会いする度に盛島ワールドが進化し続けるのを目撃できました。
奄美竪琴は本土から伝えられた金属弦の琴がルーツと言われていますが、
現在は盛島さんから発信されて本土へ、そして世界にジワジワと広がっています。
この度、CDが出来たことで、更に盛島さん及び奄美竪琴に魅了される人が増えていくことと思います。
バイタリティ溢れる盛島さんが、すぐ目の前で歌っているかのようなこのアルバム、
是非皆さんも体験して下さい。

江草啓太(ピアニスト)
 

I  LOVE  MORISSY !!
盛島さんこそ、THE AMAMI だ!
素敵なAMAMIがぎっしり。歌も生き方も優しさも自然も。盛島さんとこの犬も猫も可愛いんだよ。
今度僕が監督、主演のドキュメント映画(2011年撮影)「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました!」が今冬公開されるのですが、震災のあった2011年、僕は還暦のドキュメントを撮っていたのですが、途中で東日本大震災がおこり、福島が原発事故で被爆してしまいます。僕の実家は福島(二本松)です。
原発から40キロぐらいのところにある街です。
この映画のなかで、大好きな奄美と僕の故郷福島との因縁が映されているのですが、そのキーポイントになるのが盛島さんです。たっぷり出演してもらっています。
あー、また盛島さんの歌が聴きたい!
CDが出たらいつでも聴ける。
ツアーをしながら聴いたら日本全国みんな奄美になってしまいそうだ!(万歳!)
鶏飯食いてぇ!!

遠藤ミチロウ
 

盛島さん、イエイ!!!

大澤 誉志幸
 

盛島さんというジャックを奄美の地面に差し込んで、地球のエネルギー源から充填する。
そして、盛島さんの歌は世界中のどこの地面にも繋がっている。
マジで最高です!

勝井祐二(ROVO)
 

なんと盛島さんのCDがついに!
これは本当に聴きたかった1枚だわ〜。

2011年に奄美大島ASiViでのハシケンやスティーヴ エトウとのライヴでゲストで出演してもらったときに初めて生の盛島さんを観た!
それは今この国でなかなかお目にかかれない本物のストリートミュージックだった。
そして素晴らしいエンターテイメントだった。

翌日、奄美を発つ前に盛島さんの工房を訪れた。
いろいろ談笑をしているときにふと彼の自室のCDライブラリーに目をやるとなんと俺の参加しているソウル・フラワー・モノノケ・サミットのCDが全部揃って置いてあるではないか!誰かにもらったものなのかな?と思い盛島さんに聞いてみたら「わしはその音楽がすごい好きなんじゃ〜っ!」と熱い言葉が帰ってきてほんとに驚いた、そしてとても嬉しくて感激した。
そのバンドの一員だということを伝えるとすごく喜んでくれて油性ペンを渡されて寝室の扉に名前を書きました(笑)
そして最後に「これをあげるよ」といただいた里国隆のCDは俺の宝物です。

盛島さん、CD発売おめでとう!

河村博司
シンガーソングライター
(ソウルフラワーモノノケサミットではベーシスト)
 

盛島さんが奏でる竪琴と唄は、昔の奄美の生活が見えてくるような、昔話を語っているような懐かしく温かい音色。私もそんなふうに竪琴と島唄を奏でられたらな。CDデビューおめでとうございます!!!!

里アンナ
 

ある日、奄美の盛島さんから唐突に電話がかかって来てこう言いました。
「あのねー、今度、ぼくCD出すからねー」
「は~あ!???」
我が耳を疑いましたが、それは酔っぱらいの戯言でもハブの毒が脳に回ったのでもなく、斯くの如くほんとうにリリースされるのでありました。

十数年前、奄美のライブハウスASIVIの麓憲吾社長に連れられて盛島さんに出会い、私は音楽家としての目の鱗が土砂崩れました。我々が音楽と称してちまちまとやっている作業はなんなのだ!?音楽なんてこんな風に日々ただ「やってりゃいい」のだ!それでいいのだ!!

以来、奄美を訪ねるたびに仲間のミュージシャンたちを盛島基地へいざない、結果まんまと虜になっていきました。その証がココに並ぶそうそうたる人々からのコメントの数々です。

当然ながらCDを創りたいと目論んでいた者は私を含め1人や2人ではありません。しかしながら盛島さんへの想いが強すぎると、さまざまを意識して中途半端な仕上がりになったり、あるいは己の思う盛島像の中へ彼を押し込めてしまったりしそうです。
今作のプロデューサー山本氏は島で偶然に出会い、数日後に彼の小屋で酒を酌み交わしながら唄を録音したのだそうです。そんな「盛島さんの垂れ流し」がそのままCDとなったことは理想的な結果だと思います。彼自身がそういう出会いを引き寄せたのかもしれませんね。そういうオッさんです。

彼を知る者達はデビューと聞いてわさわさしています!
地球の軸がズレた動いた傾いたと騒いでいます!!
彼の声がどのように巷に響いていくのか大注目なのです!!!
などという内地の騒ぎはまったく察知せず、今日も犬たちに餌をやりつつ自分は黒糖焼酎を飲み、竪琴を弾いているわけですよ、盛島さんは…

スティーヴ エトウ
 

奄美に行った時スティーヴの紹介で
盛島さんの自宅に伺った事があるんだが、
その豪快な生き方と感性に心打たれて
すっかり心奪われてしまった。

「音楽は生き方」だと思ってる。

手元に届いた「よいすら節」を聴いた時、
そこに盛島さんが居た。
オレの目の前で何も飾らず一曲歌ってくれた
盛島さんがいたんだ。

すーっと心に入ってくる音楽。
音楽家として、人として、彼を尊敬しています。

音楽家 武内享
 

盛島さんは僕のなかで
奄美のジョン・リー・フッカー
素晴らしいです。

竹内朋康
 

ずいぶん前に一度だけ奄美に行ったときに出会った竪琴を奏でる盛島さん。
盛島さんの竪琴の音と歌がついに音源になったそうで、聴かせていただきました。
この音源は作品であり、記録でもある素晴らしく貴重な一枚。
奄美での思い出も甦りました。

TOKIE
 

盛島さんにはじめてあったのは、2001ねんの、10月だっただろーか、みちろーさん(遠藤ミチロウ)に、つれられて、台風の、さった、奄美の、どこだったか、たしか、鶏飯の、うまい店の、近くに、勝手に、掘っ立て小屋を、おったてて、暮らしている、山賊がいるから、あわせるってんで、あいにいった。おれは、その年の、一月加計呂麻島に、腹のふくらんだ女房と、二週間、東京の毒気から、逃れて、静かに過ごしていたおりに、宿にあった、めくらの、里国隆さんの、本を、読んだりしてた。その唄、その音、きいたことはなかったが、山賊が、はなしを、きかせてくれたなかに、里国隆の、名があった。そして、手づくりの、竪琴の、魔法の様な音と、山賊の歌で、まだ、台風の、影響で、雨の降りしきる森の中の、開墾地で、黒糖焼酎を、すすりながら、いちんちをすごしたのであった。その日は、いや、奄美滞在中は、いろんなことが、おきて、まるで、宮崎駿さんが、描いている様な、むかしむかしの、日本列島に、あった、いまじゃ、だれもが、わすれさせられてしまったもんを、肌で感じた気がしたのであった。

中村達也
 

本人は未だに認めてないかもだけど(笑)、私がホーンセクションも入るバンドスタイルでスカアレンジカバーした奄美シマ唄「稲スリ節」は盛島さんが昔目の前で歌ってくれてインスピレーションが湧いてきたもの。
相変わらずの『美濁声』と一気にシマへいざなう『麗琴』。
CDデビューおめでとうございます!!

ハシケン(第76代奄美観光大使)
 

盛島さんを初めてみたのは、奄美大島の公園で寝ている姿でした。その日の朝まで飲んでいて酔っぱらって動けなくなってしまい、一緒にいたスティーヴ エトウさんと救出にいったのでした。その後盛島さんの家に車で送った時に聴かされた竪琴の演奏と歌。破天荒なおじさんの繊細な音楽。びっくりしました。

浜崎貴司(FLYING KIDS)
 

知り合いの方からの紹介で、盛島氏に出会い、ブルースを感じた!
周りに流されない自由な生き方、人間力に引き込まれ、いつしかプライベートで度々出会い、 撮影させてもらっていた。
アルバムを出すと聞いた時は、鳥肌が立った!
彼の「奄美ブルース」を全国に響かせて欲しい!

古林洋平(写真家)
 

何度目かの来島の時、天然記念物のようなお兄さんにそれを上回る人を紹介してもらった。
その人の言っていることはふざけてるし、島の言葉が混ざるから何を言っているのか時々わからないし…
でも、ビックリするような名言がいきなり飛び出したりもする。
そして、さらにビックリしたのは、その人が自分で作ったという竪琴を鳴らしながら、歌った時だ。
煌びやかで美しい竪琴の響きとハスキーな低い低い声…
一瞬にしてその場の空気が変わった。
あの時から盛島さんの虜になった。

みっち。(パフォーマー)
 

こんな弾き語り聞いたことがない!どこで聞いても奄美の空気で一杯になっちゃう。黒糖焼酎と一緒に包まれたくなる。発売おめでとうございます!

屋敷豪太