特別寄稿/エミ・エレオノーラの

ニューヨーク日記vol.2

5.「トーキョーから来た32分音符」

その朝ゴッホ氏をマーズと車で空港まで送って行って、入れ違いにやって来るデミセミのメンバーを一時間待つ間、海を見ていた。ハワイの海のように真っ青ではないけれど、ブルー・グレーの海がきれいだった。マーズは遠く離れたベンチで眠っていた。私は一人で海を見ていた。広い海を見ていると、心が広がっていって、海なんだか心なんだか分からなくなって、ニューヨークにいるんだか、どこにいるんだか、もう分からなくなった。二週間でもう、完全に"知らない遠い国"ではなくなっていて、後から来るメンバーに密かに少し優越感も持ったりもして、空港で皆に会って「こっちよ」とか案内したらキースが「エラそうに」と言って私をちゃかした。
一回目のデミセミのツアーは横山、勝井、中、そして私の4人。スティーブと寺師は、仕事で参加できなかった。これに早川君という友人が一緒に来て、色々と手伝ってくれた。ダニーも寺師のかわりにライブを手伝ってくれた。皆が着いた日は、時差ボケにも負けずポスターを貼った。二手に分かれて1ブロックずつ、一人がハケで壁にノリを、一人がバケツを、一人がポスターの束を持って壁に効率良く貼る、という段取りで私たちは街中を"トーキョーから来た32分音符"でいっぱいにした!

6.ラスベガスにカブキがやって来たようだ

最初のライブ。ニッティング・ファクトリーは、友人達の口コミやポスターやフライヤーの効果で思ったより多くの動員が得られた。私達は本当に本当に気持ち良く演奏していた。私の例のあの自分自身の言語でのMCを、ダニーが分かりもしないのにでたらめの英訳をする。彼は言った。「She said, My Name is ペコチャン」。皆、"トーキョー"では"フリークス"とも言われたこの"32分音符"を難なく受け入れてくれた。ライブが終わるとカメラマンがやって来て「フォトセッションをしよう」と言ってくれたり雑誌の取材が来たり、私達はすっかり有頂天になってアンコールでまた狂った!
外国で活動して、みんなに喜んでもらえるというのは何より私達の励みになった。スタジオで作品撮りをしたカメラマンのマーチンが訳の分からない事を言った。
「まるでラスベガスにカブキがやって来たようだ!」

7.自由で素敵に無責任な気分

朝起きると、メンバーの置き手紙があったりする。「ブルックリンまで行ってきます。朝ごはん作ったから食べてね -- 中」「楽器屋に行って、7時間頃戻る、夜、クラブに行くなら7時頃に電話ください -- 横山」。
デミセミのメンバーはいつも、一人一人がマイペースで自由なので、旅に出ても別々に行動することが多い。仲はいいけどいつも一定の距離感を持っていて、それぞれが"今一番気持ちのいい事"をしているので、仕事とメンバーの誕生日以外はほとんど一緒に遊ばない。けれど音楽的には言葉もほとんど使わず一体感を感じられる。そんな所が気に入っているんだ。だから旅に出ると、そんな気持ちの良さを再確認する。私も自由に一人で歩き回って"素敵に無責任な気分"で皆を忘れる。
毎日バラバラに好きな事をしながら、次のライブ"CBGB・ギャラリー"の日が来た。中ちゃんは道端で、細めのアルミの鉄柱やゴミ箱の蓋なんかを拾っていた。「今晩のライブは、これを叩くよ」と中ちゃんは言ったけれど、中ちゃんの素敵なパーカッション達はほとんど2曲目で粉々になっていた。私達はインプロだけのライブをして、店頭で売っていたCDはけっこう売れたけれど、そのCDの内容とは全く違うものだったので、素敵に無責任な気分になった。

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