特別寄稿/エミ・エレオノーラの

ニューヨーク日記vol.1

これは1994年にDSQがニューヨーク・ライヴ・ツアーを行なった際の思い出を綴ったものであります。が、、、寺師徹と私Steveは欠席だったのでした。

1.「お金と時間がないのは今年も来年も一緒だ。
いいからすぐにニューヨークへ来いよ。」

ダニー・ブルーム(ラウンジ・リザースのツアーメンバー)や、セバスチャン・ステインバーグ(ソウル・コフィンのベーシスト)に出会ったのは3年前。彼らはその時、キッド・クレオール+ココナッツのツアーで日本に来ていた。デミセミのスティーブ・エトウ氏のプロデュースする企画もののアルバムに私は二曲、曲を書かせてもらっていて、その内の一曲のベースを、たまたま東京にいたセバスチャンに依頼した。彼はすぐに仕事を引き受けてくれて、ダニーや他のツアーメンバーを連れてスタジオにやって来た。仕事の合間にデミセミのビデオを見せると「ニューヨークで受けそうだから、来たらいいよ」と言うのだった。私が「行きたいけれど、今はお金と時間がないわ」というと、ダニーが 「お金と時間がないのは今年も来年も一緒だ。そんな事言ってたら再来年になっても何年経っても来られない、いいからすぐにニューヨークへ来いよ。」と言った。その言葉で、自分の中で何か新しいものが動き出した様な思いがして、胸がいっぱいになって、その日からニューヨークの事を考え出した。何だか前よりもニューヨークを近くに感じる様になった。それから、チェロのジェーン・スカパントニーと出会ったり、マーク・リボーとセッションしたり不思議な事にやたらにニューヨーク在住の人達と出会う様になり、マーズというニューヨークに住む日本人で、向こうで"E・TRANCE"というバンドをやっているミュージシャンに出会った。初めてニューヨークに行くにあたって、マーズが本当によく立ち回ってくれた。日本で出会ったニューヨークのミュージシャン達は本当に皆魅力的で、私はニューヨークへの興味がそれによって深まったし、それによってニューヨークへ行こうという願望が成熟していって、何もわからない未知の土地も"本当に行こう"という願望が強ければ、運良く手伝ってくれる人達にまで出会って、夢が実現していく感覚を私は味わっていた。今でもダニーのあの言葉を思い出す。
「夢を実現するのは"そうしたい"という思いだけでいい。お金とか時間がない、という事とは何の関係もない」


2.近い月

満月。そうとしか言えない、満ちきった月だ。それはニューヨークへ向かう飛行機の窓から見た、雲海の上の、びっくりする程大きな満月。遠い原始の時代には、月はもっと地球に近かったというけれど、こんな感じだったかしら--いやもっと大きかったのだろうけれど、実際そう思ってしまう程、月に近づいている気がした。私は何時間も窓の月を見ながら、何だか色々と考えてしまった。デミセミクエーバーがニューヨークへ行く、という事はどれ程のの意味があるのだろう。どうして、偶然にもたくさんのニューヨークの人と日本で出会って、何かに導かれる様にこうしてニューヨークへ向かっているのだろう。飛行機の窓の外の満月は、本当に大きくて、見ていると現実感がなくなってくる。不安なのか期待なのか分からない胸騒ぎに私は支配されている。"不安"と"期待"は似たようなものだ。いや、たぶん一緒なんだ。


3.はじめてのこと
〜新しい靴を買ったから、踏んでくれ!

外国に行くという事は本当に面白い。何しろ空気が変わる。飛行機を降りた瞬間から。それからその空気の中に溶け込むと、そこはもう"知らない国"ではなくなる。"はじめての場所"というのは本当に面白い。新しい発見は"新しい自分"の発見でもあるからだ。
イースト・ビレッジの知り合いのアパートに泊まる事になった。私はデミセミのメンバーより二週間早く発って、一人で来た。それは後から考えたら、意味のある事だった。皆が来る前に、ナイトクラブなんかに通っていたら、ライブの話が、また増えたりした。とにかく皆、知らない人でも興味があれば話しかけて、すぐに友達になる。これは私にとって理想的な事だ。ブッキングもしやすい。とても活動しやすい街だ、という印象だった。はじめて味わう気分。知らない人に話しかけても、靴が汚くても、道端に座っても、派手な格好をしても、クラブで騒いでも、誰も咎めない。ダニーが「エミ、二年ぶりに靴を買ったんだ。踏んでくれ!」と言った。私が彼の靴を踏むと、皆も踏んだ。何か、そういう習慣があるらしいのだ。「日本でよく汚い格好をしてるって言われる」と言うと、「靴を磨かなくてすむから、エミはニューヨークに住めばいい」とダニーが言った。でも、私は日本のそういう"節度"も大好きなのよ


4.犬のように

昼間はめずらしくスニーカーを履いて、歩き回った。道に落ちていた花を髪にさした。ベックとV8を毎日交互に飲んだ。タトゥー・マニアと美術書店で会って、タトゥーの本を何時間も見た。髪をイエローに染めて、その上にイエローのウィッグをつけて歩いていたら、「ハァイ、イエロー?」と言われて、差別なんだか何だかわからなくなって「ハァイ」と言った。ハーレムではシンディー・ローパーと間違われた。ピクルスをかじりながら歩いた。ホームレスにお金をあげて、また歩いた。歩いた。歩いた。独特の色彩。れんが色の似たような建物が並ぶ。ブルーグレーの街、緑が意外と多い。緑の美しい公園でパフォーマンスをすると、たくさんの新しい友人がまたできた。その上チップも。夜はナイトクラブへ、ちょうど同じ時期に日本から来ていたドラッグ・クィーン+イラストレーターのゴッホ今泉氏と狂った様に派手な格好で行った。すでにブッキングしてあったライブのフライヤーを、クラブで撒いていると、興味を持ってくれた人は役に立ちそうな人をまた紹介してくれたりして、本当に皆、この「トーキョーから来た、"32分音符"という名のバンド」(demi semi quaver は英語で32分音符という意味)を歓迎してくれた。
マーズやゴッホ氏の協力を得て、ライブのポスターを作った。ニューヨークのバンドやクラブ好きの人は、意外と街中に貼ってあるポスターを真剣に見て、情報を得ているという。ポスターの効果は思ったよりもあるのだ。出来上がったポスターを、ダニーとリツコ(日本人でNY在住のアーティスト)に手伝ってもらって貼り回った。ウォールペーストの水が足らなくなると、ニッティング・ファクトリーでバケツに水をもらって、また貼った。ポスター貼りは現行犯で捕まると、かなりな罰金を取られた上、全部剥がして来なくてはいけない規則があるので、目立たない夜中過ぎから始める。私達は明け方頃まで貼り続け、明日来る他のメンバーと残りは貼ろうという事になって、その日は帰った。かなり広い範囲をまた歩いてデミセミの情報をまたバラ撒いた。ニューヨークではスニーカーが必需品。いつものおそろしくかかとの高い靴は、あまり役に立たなかった。歩けば歩くほど情報をバラ撒く事が出来て、同時に多くの情報が得られた。知人はどんどん増えて、人に会うだけで大忙しだった。道を歩いていた白い犬にベーグルをち切ってあげた。この町では、何かを期待して歩いていると、誰かがおいしいエサを投げてくれるというわけだ。

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